『Theこども理解』長瀬拓也編

こども理解を深めるための視点を得るために手を伸ばした一冊。複数の教育関係者での共著ということもあり、様々な視点からこども理解について書かれている。

 

読み進めていくと石川晋さんの記述もあった。石川さんの執筆部分を読むと「僕は子どもは理解できないものだと思っている。そもそも誰かが誰かを理解するということは基本的には無理なのだと考えている。」という本著の趣旨を揺るがすような提案が!

しかしその後の記述には「この当たり前を前提として、それでも相手のことをどこまで知る事ができるだらうかと考え続ける事が子ども理解という営みそのものなのだ」と書かれていてハッとした。わからないからこそ少しでも理解するために相手をわかろうとする。この繰り返しで少しでも多く相手を理解できるようにしていくのが子ども理解の目指す方向性なのだと思う。

 

では子ども理解をいかに進めていくか。そのためにできそうなアイデアがいくつか記載されていたので取り上げたい。

 

まず、向山氏が提唱していた「毎日一人ひとりの言動を思い返す」ことである。一人ひとりの言動を思い出せるということは子どもを見ている証である。まずはここが一歩目である。

次に、子どもが帰った後の教室で一人ひとりの座席を見ながら今日一人ひとりに合った出来事を思い出し、書き出すというものである。現状の学校において時間的制約がかなりあるものの、有効な手立てだと感じる。

さらに、子ども理解に関する技術を学ぶことである。「医師が医師として相手を理解するとは、秋の仕事の専門性において理解することなのである。」「教師が子どもを理解しようとするのも、教師の仕事の専門性において理解するのである。だから、理解できる技術を習得するまでには当然時間がかかる。ところが「子どもを理解しよう」という意欲さえあれば、それですぐ理解できると思っている方がほとんどなのである。」という一文にはハッとさせられた。理解しようとする心持ちは素晴らしいがその営みは技術である。技術を習得するためな子ども理解に関する理論や実践から学ぶほかない。今後するべきは子ども理解にかかる時間を増やすことと子ども理解に関する知識や技術を学ぶことだという事が見えてきた。